「釣道極める」遥かなり

理想の釣り「日々是幸楽釣」を追い求める。

昭和生まれの悪い癖とも言うべき、昔人間を気取りたがり、「明治は遠くなりにけり」とばかり、令和の時代に突入し、昭和の時代「あの頃は良かったな」と振り返りながら、自分達が子供の頃よりの習慣である、学びの基本となる「道」へと導きます。

徳川家康ではありませんが「重き荷を背負い、遠き道を行くがごとし」、自分の進むべき道を歩み切る、極める為の「道」を求めがちなのです。

私の考える「釣道」とは

私も歳を取りました。今年で還暦前、年齢を重ねて、見える景色も変わりました。若い頃は「夜明けは、釣場で迎えよ」とか、「朝から晩まで釣りをして、初めと釣りをしたと言え」等、随分と無茶な言葉で「釣道」を唱えていました。それから、大きな魚を釣る・たくさん魚を釣る等、釣果を極める日々も過ごしました。

私の釣りへの思いが変わるきっかけは、カーラジオから流れてきた「美空ひばり」の”柔”と言う歌です。若くして亡くなった母の大好きなひばりさんには、特別な思いも有って、耳を澄ませて聞き言っていました。

そして、その歌詞が私には

♪釣れると思うな 思えば負けよ
ボウズでもともと この胸の
奥に生きてる 釣り人の夢が~

と、聞こえたのです。

「釣り人の夢」とは何か?それは、釣りをしている時に感じる、幸福感ではないでしょうか?釣りの道を究めた時、釣果などの結果でなく、いつでも釣りが楽しいと思える心境に至る事だと、私は思っています。

日々是幸楽釣

釣れても釣れなくても、ウキを眺めているだけでも、幸せを感じる。平和な日本だから、水辺で一人、のんびりと過ごせる。この事に感謝し、自然と戯れる瞬間を大切にする。釣りが出来る毎日、釣りをしながら時を楽しむ事に幸せを感じる。

これが、私の理想とする、釣りの姿であります。でも、釣れない時に感じる不満は雑念として、今でも心を乱します。そして、自分自身の楽しみでなく、より沢山の方に釣りの楽しみを感じてもらい、釣りの素晴らしさを知って頂きたい。
その先には、釣りで健康寿命を延ばす事が、一つの幸福感を得る事に繋がると信じています。

そうなのです、まだまだ、千里の道の一歩を踏み出したばかり、遥かな道のりが待っているのです。

より多くの人と、釣りがしたい。釣りを通じた出会いが、人生を豊かにする。

独りよがりの釣りでは感じない、暖かな喜びを心に沁み込ませたいのです。

まだまだ、修行が足りません。

昭和生まれは、道に拘ります!

でも、険しさでなく、プレッシャーも無く、楽しくて面白い、微笑みながら進む道を歩んでいます。